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エッセイNo.010
Ortho-Trend FRONTLINE
第2号 2004年8月
迷える世界へ 【骨の進化】 が掲載されました。迷える世界へ
【骨の進化】
井尻整形外科 井尻慎一郎いわゆる進化論は昔からある奥深い謎です。19世紀半ばにダーウィンが自然淘汰と適者生存を提唱し、進化論としてしられるようになりました。そのすこしあとにメンデルが遺伝の法則をみつけ、さらに1953年にワトソンとクリックによりDNAの二重らせんのしくみが発見され、生物の進化の法則はすぐにも解明されると思われました。
しかし、ヒトの全ゲノムの塩基配列が解明された現在でも、進化の本当の理論はむしろ混沌としていると思われます。いずれまた進化論そのものについても述べたいと思いますが、今回は骨の進化について考えてみたいと思います。
整形外科で扱う硬組織、つまり骨の進化はどのように起こったのでしょう。生物の系統樹で脊椎動物はメクラウナギなどの円口類からサメなどの軟骨魚類、マグロなどの硬骨魚類、そして両生類、爬虫類、哺乳類へと進化していきます。もちろん、いま存在するサメが進化してヒトになるわけではなくて、それぞれの祖先が過去に分岐したわけですが、では骨は軟骨から進化したのでしょうか。そうではありません。化石から検証すれば、先に骨ができてその後に軟骨が出現したことがわかっています。最初の細胞が多細胞生物に進化したあと、いつしか外敵から身を守るため、硬い外骨格を持った生物が現れました。「生命40億年全史」によれば、約5億4,000万年前のカンブリア初期の地層にはじめて炭酸カルシウムでできた固い殻を持つ長さ1~2mmの微小生物の化石がみつかっています。その後、炭酸カルシウムはリン酸カルシウムに置換されて、さらにもっと大きな殻を持った生物や殻の小板がくさりかたびらのようにからだをおおうような生物が出現しました。そして約5億年前のカンブリア紀に大きな甲羅を持った甲冑魚があらわれ、これが最初の脊椎動物といわれています。この甲羅はアスピディンと名付けられた骨組織であり、その組織内には骨のosteoblast、osteocyte、osteoclastに対応して、aspidinoblast、aspidinocyte、aspidinoclastと名付けられた細胞が存在するそうです。これらの細胞はすでにアスピディンの形成、吸収、リモデリングを行っていたと考えられています。
その後、早く動くために外骨格から内骨格を持つ動物があらわれました。そのとき、たとえば長管骨のように長い骨をつくるためには膜性骨化ではとても間に合わないので、まず軟骨組織でボリュームを稼ぎ、その後に軟骨を骨組織で置き換えるという方法で大きな骨を短期間の間に成長させることができるようになったと考えられています。
もちろん骨は支持組織としても大切ですが、それ以外にいろいろな役割をになっています。最初は外敵から身を守るために発達した外骨格ですが、その後にはカルシウムやリンの代謝やホメオスターシスの役割をになうようになりました。そして硬骨魚類以降からビタミンDの調節を受けるようになり、さらに両生類以降には副甲状腺ホルモン(PTH)が登場しています。
では、そのアスピディンは何から進化したのでしょう。アスピディンが現在の骨組織のようには分化していないとしても、その細胞たちはどの細胞から進化してきたのでしょうか。地球生物史的には生命の誕生は約38億年前で、その後しばらく原核細胞の時代が続き、約15億年前に真核細胞があらわれ、10億年程前に多細胞生物が出現したことになっています。アスピディンを構成する細胞たち、つまり甲冑魚の体細胞はその遺伝子をいつごろ持つようになったのでしょうか。
長い間、進化論の世界では「獲得形質の遺伝」はありえないとされてきました。現在では実は後天的に獲得した形質が遺伝することがありえると実証されつつあるようですが、最初に炭酸カルシウムの固い殻をまとった生物は海のカルシウムがたまたま沈着したように私には思えてなりません。それともやはり遺伝子の変化でたまたま炭酸カルシウムを殻としてつくりだす生物が突然できたのでしょうか。やはり進化論は難しいと思います。参考文献:
1:「骨の科学」須田立雄、小澤英浩、高橋栄明著、医歯薬出版株式会社
2:「生命40億年全史」リチャード・フォーティ著、渡辺政隆訳、草思社
3:「進化」岩槻邦男、柴崎徳明、今井竹夫、林蘇娟、西田治文著、研成社