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エッセイNo.027
Ortho-Trend FRONTLINE
第7号 2005年11月
迷える世界へ 【人はなぜ寿命があり永遠に生きられないのか?】 が掲載されました。迷える世界へ
【人はなぜ寿命があり永遠に生きられないのか?】
井尻整形外科 井尻慎一郎最近、老化を防ぎ寿命を伸ばすホルモンがマウスで発見されたとのニュースがありました。老化に関するクロトーという遺伝子は数年前にマウスで発見されています。しかし、老化と寿命の限界とは違う概念で、必ずしも老化があるから寿命に限界があるのではないのです。
現代の人間の最長寿命はおそらく120才くらいが限度といわれています。動物にもほぼ最長寿命は決まっており、ネズミで2~3年、犬は20年、猿や象は70年くらいです。なぜ犬が人間のように80才くらいまで生きられないのか、人間が200才まで生きられないのか、という疑問については現在の医学、生物学ではまだ明確な答えがありません。今の所「そのように作られている」としか答えようがないのです。細胞の寿命
人間の体細胞は大まかに分けると分裂性の細胞群と非分裂性の細胞群に別れます。このうち分裂性の細胞に関して、ヘイフリックは1961年に「正常二倍体細胞は有限の分裂寿命をもつ」という歴史的な論文を発表しました。それまでは人の細胞は無限に分裂できると考えられていましたが、ヘイフリックは人の胎児から取った細胞を培養し、約50回分裂するとその後分裂しなくなることを発見したのです。そして、それは遺伝子にプログラムされたもので、このために細胞が老化したり、寿命を持ったりすると考えました。
また動物の細胞でも長命な動物の細胞と短命な動物の細胞の分裂できる回数は、各々の最長寿命に比例することがわかりました。たとえばラットの最長寿命は約3年で胎児の細胞分裂回数が約15回、ウサギは最長寿命が約10年・分裂回数20回、そして人間は最長寿命約120年・分裂回数約50回という直線的な関係がみられたのです。この相関性は分裂性の細胞の分裂寿命が動物種に固有な寿命の決定に深く関わっていることを意味しています。
これに対して、異常な細胞である癌細胞は無限に分裂できます。つまり細胞に寿命がある方が正常で、癌化するということは何らかの原因で細胞の分裂の制限システムが壊れた状態であるということとも考えられます。分裂の度にDNAの一部が短くなり最期に分裂ができなくなるという、分裂の回数券のようなDNAのテロメアがその機序として有名です。
さて、分裂性の細胞が分裂を終え、最後に死ぬ方法は「細胞自死」「細胞自滅」と訳されるアポトーシスによってもたらされます。細胞の死に方には大きく分けて2つあり、1つは外傷や病気などで細胞が膨れて壊れ、炎症を伴うネクローシス(壊死)。2つ目は細胞が遺伝子の働きで自ら遺伝子をバラバラに切断して細胞が縮んでしまうアポトーシスです。アポトーシスは近年脚光を浴びている概念で、遺伝子の働きによって細胞が自ら合目的に死ぬ機構です。オタマジャクシの尻尾が消えたり、イモムシが蝶に変わったり、手のひらの間の細胞が消えて指ができたりすることも、このアポトーシスのおかげです。また病気にも大いに関係しています。病気になった細胞が自ら死ぬことや、癌細胞はアポトーシスが抑制されているなど、さまざまな事に関係しています。分裂性の細胞はその分裂を終えると、しばらくは生きて機能しますが、最後には遺伝子に何かのスイッチがはいりアポトーシスを起こして自ら死んでゆくのです。
一方、心臓の筋細胞や脳の神経細胞は、出生前に分裂を終え、その後は分化するだけで一度も分裂しません。これらの細胞を非分裂性の細胞と呼びます。人間が寿命によって死ぬ場合、心臓や脳の機能停止が大きな意味をしめると思われることから、分裂性細胞の寿命が人間や動物の寿命を決めるというよりは、非分裂性の細胞の寿命の方が個体の寿命を決めるのではないかともいわれています。心筋細胞や脳神経細胞の寿命がきて死ぬ場合は、ネクローシスではなく、アポトーシスとよく似たアポビオーシスという機構で死ぬようですがまだ詳しくわかっていません。
このように人間が寿命で死ぬ場合、何らかの機序で遺伝子にスイッチが入り死ぬということになりますが、線虫(C.エレガンス)やゾウリムシなどの下等動物の世界では既に寿命に関係する遺伝子が見つかっています。
いつの日か人間の寿命が科学の力で延びることがあるのかもしれませんが、花も枯れるからこそ美しいのと同じく、人生もそれなりに短いからこそ良い部分もあると思います。かつてテレビでフランスの寿命を伸ばす遺伝子を探している研究者が「恍惚のような状態で長く生きたくはない。ある朝起きたら死んでいる、それが私の理想だ。」と言ったことが印象的でした。